HAWAIIの位置について

 ハワイ州は日本から東へおよそ6,200km、北緯28度、西経178度から北緯19度、西経154度を結んだ直線上に大小およそ130個の島々で構成されている。いわゆるハワイ諸島とは実際に人間が住んでいるのはこの中の8つの島で、北からニイハウ島、カウアイ島、オアフ島、モロカイ島、ラナイ島、マウイ島、カホオラウェ島、ハワイ島となる。この中でニイハウ島は個人所有の島で、基本的観光客は島に降りることは出来ない。またカホオラウェ島も軍の施設があり演習場になっているので行くことは出来ない。残りの島々はそのほとんどが珊瑚礁か少しだけ海に突き出た岩礁だ。
 ハワイ諸島最大の島、ハワイ島の下には「ハワイアン・チェーン」と呼ばれる火山脈が通っていて今でも噴火を続けている。元々このハワイ諸島は火山の噴火によって出来た島で、それが地殻の変動により徐々に北東方向へ移動したといわれている。だから一番最初に出来た島ニイハウ島は永い年月で浸食され小さくなってしまったのかもしれない。ハワイ諸島は1年間におよそ1cmづつ北東に移動しているらしい。つまり日本にドンドン近づいているのだ!
#このままでいくと何万年か先には日本から歩いてハワイに行ける日がやってくるかもしれない!


HAWAIIの歴史について

 1778年1月18日、イギリスのジェームス・クック(通称キャプテン・クック)がカウアイ島を発見し、この時ハワイ諸島は「サンドウィッチ諸島」と名付けられた。この頃すでにカメハメハ大王を中心とするハワイ王朝が存在し、1810年にはハワイ諸島の統一を成し遂げた。

 1800年初頭、ワイキキはまだ沼地でタロイモ畑が広がっていたと言う。そもそも「Waikiki」とはハワイ語で「水が湧き出る」と言う意味があるのだ。ワイキキはマノア渓谷から吹く風と適度な雨で、涼しくすごしやすい土地だったため多くの人々がここに移り住んみ、後には王族の避暑地としても利用されることになる。

 1819年にカメハメハ大王が亡くなると、その息子リホリホが王位を継いでカメハメハ2世となるが、その後イギリスを訪問中に麻疹かかり短命に終わってしまう。ここからすでにハワイ王朝の悲劇が始まっていたのかもしれない。

 1824年、カメハメハ2世の後を継いで彼の弟がカメハメハ3世となる。1845年にカメハメハ3世は、それまで住んでいたマウイ島のラハイナからオアフ島のホノルルに首都を移した。このカメハメハ3世が統治した30年間がハワイ王朝時代の最盛期であり、専制君主国から立憲君主国となり国際的にも独立国として認められる様になった。これをきっかけとしてハワイが世界にしられる様になったのだ。

 カメハメハ3世は1848年には国土の3分の1を王と王族に、また3分の1を国家に、そして残りの3分の1を一般市民に分け与えるというグレート・マヘレ条約を公布。この条約の公布以降、白人達が急速にハワイの土地を所有していくことになった。

 1954年にカメハメハ3世の後を受け継いだカメハメハ4世カメハメハ5世はいずれもカメハメハ3世の妹の子供であった。

ハワイ王朝時代はカメハメハ5世が独身だったため妹のカママル姫に受け継ぐつもりだったが、彼女も早くしてこの世を去ってしまった。

 これを受けてハワイ王国議会はルナリロ王を国王として任命するが、このルナリロ王もわずか1年足らずで病死してしまう。

 1874年、ハワイ王国議会は次の選挙でカラカウアを選出。そのカラカウア王はなんと元新聞記者だったのだ!王位に就いたカラカウア王はアメリカ合衆国を訪問し交流を深める。しかし王権拡張をしようとしたカラカウア王はそれに反対する白人勢力に鎮圧され1891年にこの世を去る。やはり後継ぎのいなかったカラカウア王は、妹のリリウオカラニ妃に政権を託した。

 後を継いだリリウオカラニ女王は1893年にサンフォード・ドールの白人勢力によって退位を迫られイオラニ宮殿に幽閉された。こうしてハワイ王朝時代は幕を閉じることになる。この時幽閉された部屋はイオラニ宮殿の見学ツアーで内部を見ることが出来る。ちなみにかの名曲「アロハ・オエ」を作ったのはこのリリウオカラニ女王なのだ。

 そして1898年8月12日に正式にアメリカ合衆国の領土となり、1959年8月21日50番目の州となった。